メンタル

親に感謝できない理由。感情を抑えつけて育つと…条件つきの愛だった

親への感謝、条件つきの愛で育ったこと

長年、育ててくれた親に感謝できないことを恥じていました

(口では「育ててくれた親に感謝しています」と言っても、本心ではなく…)

 

けど、最近になって親にやっと本心から感謝できるようになって

そうなれたのは自分の感情を「ありのまま」受け入れるようになったからなんです

 

ずーっと、順番が間違っていました

  1. 親への許せない気持ちを受け入れてから
  2. 親への感謝は生まれる

その「許せない」気持ちを受け入れずして、感謝は生まれないのです

 

なぜか?

それは感情が同じラインにあるからなんです

感情を押さえつける

(↑同じラインにある感情の一方「許せない」気持ちを受け入れないと、もう一方の「感謝」も生まれない)

 

親への感謝は自分の感情をありのまま受け入れた生まれるものなんです

 

感謝は自然に生まれてくるもので、誰かに言わされることではありません

 

ありのままの感情を受け入れずして、自然発生の「感謝」は生まれてこない

 

そして自分の感情をありのまま受け入れられない人の共通点が

「条件つきの愛」で育てられたこと

親に感謝できない人の共通点「条件つきの愛」?

よくあるパターンが「〇〇したから、貴方はいい子ね」と言われて育つこと

具体的には「夕食食べたくない」と子供が言えば

「お母さんが作ったものを食べないなんて、あなたには二度と何も作らない!」

と言われるなど

(夕飯の例は、どこの家にもありそう)

 

要は

「親の言うことを聞かない子供は受け入れません」

というスタンスです

 

感情をむき出しにする子供に対し、受け入れない親…

子供のありのままの感情を受け止めずに押さえつけてしまうと、子供の自我が育ちません

 

ちなみに、わたしの家もまさにそうでした

そして、その事実に「30歳になる」寸前まで気づきませんでした

 

気づかなかった理由は「愛はあった」からなんです

 

親に感謝できない人の親「子供に生きる意味を見出す」

わたしの親は、子供にべったりでした

(恥ずかしいくらい過保護)

 

子供に愛情を注ぐことが自分たちの「生きがい」のような両親

 

なので、自分は愛を注がれていると思っていました(それも人より数倍)

 

それでも、なんとなく「変だな」と思うときは何度かあって…

 

たとえば、小学生のときに読んだ「ハリーポッターシリーズ」の冒頭に出てくるダーズリー一家

一人息子の「ダドリー」に過剰な愛を注ぐ夫婦の姿に

「自分の家と、どこか似てない?」

と。

 

終盤でダンブルドアがダーズリー一家に放った言葉がいまでも忘れられない…

(ダンブルドアのセリフを検索していたら、的確なツイートがあったので引用させてもらいます↓)

 

 

そう、愛があっても、虐待になる

このことに長年、惑わされ続けました

 

愛があるかどうかではない…

 

愛だけではダメということは、どんな親が理想なのか?

 

親に感謝できない…親に「自我」はあった?

自分の親に「自我があるかどうか」

 

たとえば、自我がない親に育てられると?どうなるか

子供に自分の存在意義を求めます

 

子供が親を求めることに、親は自分の存在価値を感じて、安心します

小さい頃はそれがあるべき親子の姿に思えます

けど、その子供が親を求めなくなったら?

親はどうなるか…

 

当然、不安になります。自分の存在価値が揺るがされているから

 

親を求める子供を欲する親。

 

ここに「条件つきの愛」が生まれます

すなわち「親の存在意義を保証する、自立できない子供」だから愛する

 

逆に、自我がある親は、子供の巣立ちは「寂しい」と感じても、子供と親は他人であるという「自他分離」ができているので

仕方のないことだと諦めます

 

親に感謝できないのは、親がぜんぶ悪いのか?

もちろん「発達障害かも?」と思う子供側の欠陥に、手がかかったのも事実で

 

手がかかる子供に親が手助けしているのが日常茶飯事になっていき

 

親と子供の境界線がわからなくなるほど、距離が近すぎてしまったのも原因のひとつです

(手がかかった分、親の手から離れていく子供に、人一倍、寂しさを感じるのは当然)

 

けど、それでも声を大にして言いたい

  • 手がかかる子供だったこと
  • ここまで育ててくれたこと

と、

  • 「条件つきの愛」でありのままの自分を受け入れてもらえなかったこと

 

これは別問題なんです

親への感謝、条件つきの愛で育ったこと

つまり、育ててくれたことに感謝はするけど、「条件つきの愛」であったことに怒る権利は当然あります

 

「怒っていい」

 

ここで自分の感情を吐き出してもいいと許すと

 

「ありのままの自分でもいいんだ」と思えるようになる

 

…その感情を吐き出していい練習を重ねていくと、親に感謝の気持ちが生まれます

わたしの両親もそうだし、ほとんどの親がそうですが「子供を愛してないわけではない」のです

 

(だからこそ、ややこしい)

 

愛してくれた親だからこそ、その親を責めることが「大罪」に値するかのような気持ちにもなります

 

 

けど、親に対する疑念や、怒りは自然発生のもので

 

その自然発生の感情を抑えつけることが

本当の「親への感謝」から道が遠ざかる最大の要因でした

 

親への感謝ができるには「親から与えられた無言の暴力に怒りの感情を吐き出したあと」です(実体験)